10年前のホームヘルパー2級施設実習の記憶がよみがえってきた


10年前も俺はオイシイ話がないかと探していた。


目をつけたのが2000年から始まる介護保険制度。あまり注目されていないが、必ず日本を大きく変える。しかし老人介護はまったくの門外漢。まずは資格を取って様子を見よう、そう思ってホームヘルパー2級の講座に申し込んだ。
今となっては無料で取れる資格だけど、10万に近いゼニがかかった。しかし、ホームヘルパーの資格があると身内の介護をしても手当がもらえるなんて説があったり、自動車の運転免許も初期の頃は適当に取れてたらしいし、初期の混乱期には美味しいことがあるだろう、というヨコシマな気持ちでいっぱいだった。


通学講座で週1で3ヶ月くらい通ったのかな。
はっきり言って座学なんかは中学校の家庭科レベルの話だし、人形を使ってオムツを替えてみたり、講座生同士で歯の磨きっこをしたり、車椅子に乗ったり押したりしながら常盤公園に行ったり、そんな楽勝な日々だったわけ。
受講生つっても、多くが既に病院とか施設とかで介護の仕事をしてたベテランのオバチャンばっか。看護婦とかの資格のない人が集まってきてて、QOLとはなにかレベルの理論を聞くのが珍しくて楽しかったらしいね。
俺みたいに当時20代なんてのは他にいないし、男も2人だけだったから「若いのに感心ねえ」みたいなことを言われてたわけだ。


楽勝のまま実習に出たわけだ。
ところがなにせ制度がスタートしてすぐのこと、実習の受け入れ先がない。つーことで本来は4日行かなきゃいけないらしいところが3日で済んじゃったんだけど、もしこれがもう1日あったら、多分俺、社会不信・人間不信に陥ったと思う。


この10年で福祉や医療をめぐる環境は激変している。10年前なら当たり前だったが今では許されないことも多い。
ホームヘルパーの実習も、今では見学や話し相手が中心で、利用者さんに直接触れるようなことはほとんどない、という話も聞く。まして俺のようになにも知らないまま放り込まれることもないだろう。


静岡市の郊外にある、とある病院。夜景が綺麗に見える山に続く道に続いていて、夜景を見に何回か通ったことがあるし、静岡新聞に昔も今も広告が定期的に出るので、その存在は知っていた。
早朝、右も左も分からぬまま案内された通りに夜勤との引継ぎミーティング。総勢30人はいたのかな。ホームヘルパーの実習が2人、看護婦の実習(?)が2人紹介されて終了。


ヘルパー的な仕事をしている男性2人につくことになる。
病室に続く廊下には自動ドア。ウィンと開いて病棟へ。軽い感じで言われる。
「このドア、こっちからは開かないから気をつけて」
え?壊れてるの?
頭の上にクエスチョンマークを1個乗せたまま廊下を歩く。
さすがに朝だけあって患者さんがバタバタと出入りしている。耳が遠いのか大声で会話しているおばあさんとかもいて騒がしい。基本、みなさん耳が遠いのか、声が大きい。


「じゃ、最初にトイレに連れて行ってもらうから」
あー、はいはい、歩けない人を肩を貸したり車椅子に乗せたりしてトイレに連れて行くのね。
「この人」
え?このおばあさん、普通に歩いてるじゃん?
頭の上にクエスチョンマークをもう一つ乗せて3人でトイレへ。
「やったことある?」
なにを?頭の上のクエスチョンマークは3つ目。
「じゃ、教えるから。まずオムツを取って。」
オマンコオープン!オムツにはびっちり茶色いものが。
「そうするとウンチがついてるから、こう座らせて、このおしぼりで拭いて」
おしぼりにウンチ山盛りなんですけど?つーか、このおしぼりって・・・。いや、噂には聞いてたけど・・・。
「おしぼりはいくら使ってもいいから。ちゃんと拭かないと後でただれて大変なことになるから。で、このオムツをして、おしまい」


なにをやるかを聞かされてない状態だったから強烈な経験のように思えるけど、でもこれが現場の当然の日常だよな。肛門とオマンコをおしぼりで拭くという直接表現では習ってないけど、陰部を清拭とかいう漠然としたイメージだった排泄介助ってのは当然そういうことだよな・・・。
切り替えと適応能力だけは人に誇れるものを持ってるので、あっという間に受け入れて、脂肪でブヨブヨしたうえに勝手に動く人間の下腹部に手こずりつつ何人ものオムツを替えながら、頭の上にもう一つクエスチョンマークが乗るわけよ。
なんでこの人たち、羞恥心がないんだろう?慣れ?でも俺は見たこともない人だろ?
つーか、そもそもこの人たち、俺のことなんか見てないし。


一通り排泄介助が終わって、特にすることもないので利用者さんとコミュニケーションをとりながら見学してください、とのこと。
大部屋がありーの、個室がありーの、いろんな管がつながれて今にも死にそうな人がいーの、なんだここは?
病棟内は相変わらずバタバタして、大声が響き渡っていた。


そしてふと大変なことに気付いた。
病室と廊下を出たり入ったりしている人がいることに。出たら入り、入ったら出て、延々と出たり入ったりしている。だからバタバタしてると感じたんだ。
補助車つきの歩行具を押しているおばあさんは、大声で誰かと会話をしてるんじゃなかった。探すかのように誰かの名前を叫び続けてるんだ。歩いているおばあさんは、同じところをぐるぐるぐるぐる回り続けてるんだ。


一瞬ここが現実の世界には思えなくなった。あまりの衝撃に、廊下に漂ってる他のお年寄りたちと区別がつかないくらいフラフラと歩いていると、自動ドアが見えた。朝一で聞いた言葉を思い出す。
「このドア、こっちからは開かないから気をつけて」
閉鎖病棟だったんだ・・・。


呆然としているうちに、廊下の向こうにいる一人のおばあさんと目が合った。止まってるのか歩いているのか分からないような速さで歩きながら、なにか言ってる。本当に俺に言ってるのか?他の人みたいに、見えない誰かと話してるんじゃないか?
すると明らかに俺の方を見て手招きをする。ホラー映画のようだ、と不謹慎にも思った。
近寄ってみると確かに俺を呼んでいた。しかし、何を言ってるのかがさっぱり分からない。明らかに俺に何かを訴えているのだが、分からない。


あわてて職員を探しに走るが、どこにもいない。
別の階とかで寝たきりの利用者さんの排泄介助とか全身清拭とか、俺の見えないところで俺が見なかった仕事をしてたんだろう。
探し回っているうちにどこかからか職員が現れて、おばあさんから話を聞くとすぐ通じた。トイレに行きたかったようだ、俺のせいで「手遅れ」になってしまったけど。
コミュニケーションすらまともにとれないことが判明してしまった。職員には通じてるのに。


「丁寧に聞くと分かりますよ。分からないことも多いけど」
というアドバイスを受けて、丁寧に話をしてみようと思った。
誰かの名前らしきものを叫び続けながら補助車つきの歩行具を押しているおばあさん。時々俺の方を見て叫んでいた。


「ヒロシ(仮名)!ヒロシ(仮名)!あうーヒロシ(仮名)!」
「誰か探してるんですか?」
「さっきまでいたけど、知らないか?」
発音はおぼつかないけど、隣にしゃがんで話しかけると分かってくれる。どうやら時々面会に来る息子を探してるらしい。
しかしこの日は誰も来てないわけで。
話を聞いていくと身の上とか話してくれるんだけど、言ってることが大分おかしい。話に接ぎ穂に困って一瞬間が空くとまた、前を見て
「ヒロシ(仮名)!ヒロシ(仮名)!あうーヒロシ(仮名)!」
って叫び始める。


正面から話したほうがいいんだろうか?そう思って正面にしゃがむ。すると俺の眼を見てハッキリとこう言った。
「あんた、ヒロシ(仮名)!」
あうー、じゃない。あんた、だったんだ。息子が面会に来たのがよっぽどうれしかったんだろう、その時の記憶がいつも付きまとってるんだろう。探してるんじゃなかったんだ、喜んでたんだ。思わず答えてしまった。
「はい」
するとおばあさん、補助車つきの歩行具を押して、一歩踏み出して・・・、俺の・・・左脇をすり抜けて向こうのほうを見てこう叫んだ。
「ヒロシ(仮名)!ヒロシ(仮名)!あうーヒロシ(仮名)!」


いわゆるアウト・オブ・眼中ってやつだな。こんな人たちに囲まれた2日間。
ずっと付き合ってる職員もタフだ。
たとえば食事介助。授業では、スプーンを食べやすい高さに置いてあげましょう、とか、こぼさないようにしましょう、とか、食欲がなくても食べる気力が湧くように美味しさをアピールするようなことを言ってあげましょう、とか、食べなくても無理に食べさせたらダメですよー、みたいなことを教わるわけ。


で、現実。
目の前のお皿にはピンク色のドロドロ。なんだろ?イチゴなのか明太子なのか鮭なのか?
俺も食べたくないし、利用者さんも見向きもしない。
ここで一流シェフなら
「香り高く焼き上げた脂の乗った鮭をほぐしたものを、7分炊きのやわらかなおかゆに乗せまして、お召し上がりになりやすいようによく混ぜましてから、4種類の飲み薬をトッピング致しました」とか言えるんだろうけど。
目の前にスプーンを出しても、精一杯語りかけても、無反応。10分たっても一口も食べない。どんどん冷めていく。つーか温かかったかどうかも不明。
そこに職員が通りかかって
「あー、そんなことやってたらいつまでも食べないから、この人。グイッて突っ込まなきゃ」
職員がグイッ!グイッ!グイッ!グイッ!グイッ!
5口、30秒で終了。
食べた方はケロリ。


たった2日の経験とはいえ、縛ってくれないと眠れないからベッドに縛ってください、と懇願するおばあさんの話とか、まったくかみ合わない会話を延々続けている「仲良し」おばあさんたちとか、なんでここにいるのか分からないくらいまともなおじいさんが最後の最後に、20代だった俺の兵隊に行ってたの時の所属部隊を聞いてきたりとか、この手の話はキリがないのでやめておくけどさ。


これが10年前のホームヘルパー2級の実習の一部だ。
10年といえば遠い昔でもあるし、つい最近でもある。時代も違うし、今もこの通りだとは思わない。仮にこの通りだったとしても俺はここの職員の対応が悪いとは思わないし、批判するつもりで書いているわけでもない。
なぜこんなことを今、突然書いたかといえば、あそこにちょっとでも悪意が入ってくるとこうなるんだろう、と思ったからだ。
「どうせ、この人、分かってないんだから」

「入所者放ったらかし」おむつも換えず  老人施設火災

http://www.asahi.com/national/update/0324/TKY200903230358.html

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20年も経ってもうすっかり古典になってるはずなのに、同じような行政の見て見ぬフリはなくならない。
特に今回のように、格好の責任のなすりつけどころがある場合には。