子供嗜好品論者に季節外れのクリスマスキャロルよ、届け

前の会社の後輩からメールが来てて、無事出産とのこと。
彼女は身長が140センチあるかないかなので、実は結構心配してて、現に骨盤が小さいからとかで帝王切開ってことになってた。
メールに添付された赤ちゃんの写真、もしかするとお母さんより大きいんじゃないかという雰囲気、その子猫のような寝顔が見れて、なにより。
そんな日に

ivedoor ニュース - 【眼光紙背】タバコが迷惑なら、子育てだって迷惑だ!
http://news.livedoor.com/article/detail/4109939/

つー文章があって、本文の内容を逆説的にまとめたものがタイトルになってる。ここを読み切れない人たちが逆上して面白いことになってる。
ということを解説したのが

ワープアにはタバコも子供も金持ちの嗜好品に見えるかも。
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090417/1239925575

で、大方において同意するんだけど、その中にこういう表現がある。

 これは、育児も喫煙も「自分たちとは関係ない」連中が勝手にやっている行為に見えてしまうほどの若年困窮者が社会には存在するという貧困問題の表れなのだ

これはどうなんだろうね?本当に貧困問題の問題の問題なのかしらん?
で、俺が真っ先に思い起こしたのが立場は逆なんだけど、金貸しのスクルージなのよ。


金貸しのスクルージはケチで偏屈で人間嫌い。クリスマスを祝うのはマスコミに煽られた情報弱者だと思ってるし、貧乏人は自己責任だから野垂れ死ねと思ってる。借りたものは返すのがルールで、ルールを守れない奴は非国民のはてなサヨクだから貸し剥がしっていいと思ってるわけよ。
いるだろ、そういうj-kondoみたいな奴。


クリスマスの晩に、一緒に金貸しをやってた死んだはずの友達が枕元に立ってこう言うのよ。
「あのよー、俺、今、あの世ー」
で、これから精霊が3人現れる、その3人目がお前を救う、と。


1人目の精霊は過去の精霊。
純粋な子供の頃から、楽ではなかったとはいえ周りの人たちにも恵まれた青春時代を映し出す。しかし高潔な生き方をしていたのに、段々汚れて、恋人とも決別、その恋人は現在では温かな家庭で幸せに暮らしてる、そんなところまで見せ付けられてしまう。
すべて自分のせいで失ってしまった幸せの重さを思い知らされ、打ちのめされる。


2人目の精霊は現在の精霊。
街は幸せなクリスマスを楽しむ人々、その中の一人がスクルージの使用人・クラチット。貧しいながらも食卓を囲む料理と笑顔は幸せに包まれている。こき使った挙句にロクすっぽ給料も払ってないのに、スクルージのためにもクリスマスの祈りを捧げる姿に心を打たれる。
甥のフレッドの家でも楽しいパーティ。いつしか一緒にいるつもりで楽しんでいたが、そんな時間も過ぎ去ってしまう。


3人目の精霊は誰かの死を取り巻く光景を見せる。
誰にも看取られずに孤独死、死を悲しむ者もなく、喜ぶ奴までいたり、下手すりゃ「かんかんのう」まで踊らされそうな勢い。
連れて行かれた墓、そこに書かれていたのはスクルージの名前。未来の精霊、つまり死神。


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この「クリスマスキャロル」という故事成語が示すとおり、ケチで人間嫌いで偏屈なのは貧困とはあまり関係がないのよ。
結婚して子供を育てたらいくらゼニを取られるか分からない、とか、公園で子供がはしゃいでるとムカつく、とか、教育に税金使うな、とか、子供は親の嗜好品だとか、そういうことを言う貧困層がいたとしても、それは貧困が直接の原因ではなくて、クリスマスキャロルの時代からいる性格の捻じ曲がったクソ野郎の問題なんじゃねーのかな?


ただ、現代の性格の捻じ曲がったクソ野郎の問題は、スクルージのように純粋だった頃や彼女とのラブラブの過去の思い出も、誰かが心配してくれたりするような現在の人間関係も、どうせ持ってないだろってこと。
つまり精霊が見せたくても、見せるものが暗黒の未来以外のなにもなくて困っちゃう、ってところ。
その暗黒の未来だって、どうせ人は死ぬんだろ的なニヒリズムの前では無力だし、もはや精霊じゃ救えないというこの不幸と言ったら。


親鸞はこう言った。
「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」
リア充なら、守らなきゃいけない世間体やら財産やら、そういったものを乗り越えないとたどり着けない境地に、貧困層は既にたどり着いているはずなのに。


「聞いてくれ!私はこれまでとは違う。こうして会わなければなり果てたろう、ひどい人間とはわけが違うんだ」
スクルージは改心して、こき使ってた使用人に七面鳥を届け、誘いを無碍に断ってしまった甥のパーティーを楽しむ。このあたりの行動は早いね。
こんな感じで、リア充でさえ幸せになれるんだから、どうして貧困層が幸せになれないなんてことがあろうか。


「メリークリスマスだと! なんの権利があってお祝いするんだ? どんな理由があってのお祝いだ? そんなに貧乏なのに」
「『メリークリスマス』なんてぬかす頭のたりない間抜けどもは、お祝いのプディングなんかと一緒に煮詰めてやって、心臓にヒイラギの棒でもつきさして埋葬してやりゃいいんだ。」
「クリスマスはさぞかしめでたいんだろうよ。そうだな、今までもさぞかしいい事でもあったんだろうし」


クリスマスキャロルが胸に響きさえすれば、幸せはすぐそこにあるはず。
クリスマスイブのスクルージの事務所にも、パーティの誘いや寄付のお願いや休暇の申し出というクリスマスとの接点は訪れていた。ちょうど公園から子供のはしゃぎ声が聞こえたり、税金での子育て支援のニュースを見かけるのと同様に。