道理で珍しく感情的で攻撃的なエントリだと思った

例えば小学生が朝、頭が痛いっつって、午後に治って学校が終わるまであと1時間ぐらいだし、ってジャスコに出かける、つったらどうよ?
ブログを書くっつー行為は、ネットでは外出に匹敵する行動だし。
「あんたは病人だから外に出ちゃダメ」
って母親に言われるのは、治療の意味だけじゃないと思う。他の人は学校に行ってるのに、学校を休んでるあんたはアウトサイダーなんだから他の人より楽しいことをするのはタブー、一種の社会的な同調圧力がかかってる部分もあるんじゃないかと思う。

解雇されたので起業します
http://kousyoublog.jp/?eid=2291

要するに会社病欠中にブログを書いたら社長に見つかって解雇された、社長のブログに名指し同然で「ひねり潰す」って書かれてた、つー話。
なんか見た覚えのある話だと思ったら

権利ばかり主張して義務を果たさない無能人。
http://ameblo.jp/miraizblog/entry-10250941904.html

未来予想の庄子素史社長のブログだった。


未来予想という会社には2回行ったことがあって、
http://d.hatena.ne.jp/RRD/20080730/1217427719
庄子さんにご挨拶させていただいたことがあるけど、まさに

振る舞いも仕事もとても常識人で、有能と言って良く、考え方もシビアに物事を切り分けて考える人であったように見えた
http://kousyoublog.jp/?eid=2291

し、それ以前からブログを定期的に読んでいて、まさにその通りの人だと思うし、その印象は今も変わらない。
だからこそあの日の感情的なあのエントリが異質なもののように思えたし、ああ、なんかあったんだろうな、とも思った。
そのなんかの正体が明らかになったわけだが、しかし庄子さんだって感情はあるわけだし、その感情がなぜこの1回だけ表に出てきたのか、

この心理は典型的な日本人性とでも言うような思考過程のように思った。ケガレを共同体から取り除く、ということなのか
http://kousyoublog.jp/?eid=2291

庄子さんの思考過程を分析をする前に、考えなきゃいけないことがあるんじゃないのかな。


庄子さんのエントリに関して言うと、

休暇中に法的な束縛は出来ないが、病欠って突発的だし(他の労働者を含めた)会社に負担をかけてる、その辺の自覚あんのか?空気嫁って話だろ。法的な権利と社会的な同調義務とを対比させたことが炎上の原因。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://ameblo.jp/miraizblog/entry-10250941904.html

というブックマークコメントをつけておいた。
この場合の会社の負担というのは主に「会社の持ち物」である他の従業員にかかるんだろうけど。


そりゃ強者である会社と、弱者であるから法で保護された労働者は対等な契約関係だけどさ。でも病欠者と他の従業員との関係は違うしね。
病欠ブログオッケーという人もいれば、なんだあれは?っていう人もいるだろうし、後者の多い集団ではひねり潰れたほうが互いに得策なんだと思う。
そんな感じで法的な権利と、社会的な、あるいは文化的な同調義務とを直接対比させたことが炎上の原因なんだろうな。
書いてあること自体は正しいとも間違ってるとも思わない。


ただ、賃金ってのは労働の対価であって、労働に費やした時間への対価じゃないと思う。労働の秤として時間という基準が通用してきた時代はそろそろそのひずみの方が大きくなってきているようにも見える。
現代の労働法って前時代的で、機械がなかった時代の機械代わりの単純労働者を前提にしてるから、「労働=工場での稼働時間」でよかったんだけど。
時間に変わる基準がなかなかないからみんな困ってる。


賃金が労働の対価だと思ってる人と、時間の対価だと思ってる人とでは絶対にこれらのエントリ群の件での話はかみ合わない。
労働の対価だと思ってる人は、病欠中でも会社のことを考えろというだろうし、少なくとも病欠は会社に負担をかける行為だからそのことを配慮しろと言うだろうし。
時間の対価だと思ってる人は、時間外なにしようと自由だというだろうし。


遠足は家に帰るまでが遠足だけど、労働とは終りのない、普段の生活そのものなんじゃないかな。
ウンコしてるときに、ウンコと一緒に仕事のいいアイデアをひねり出せたら、それは時間外労働として認めるべきかといったら違うだろう。