非正規労働者の値段は三文安い

 パートや派遣として働く若い非正規労働者が交通事故で亡くなったり、障害を負ったりした場合、将来得られたはずの収入「逸失利益」は正社員より少なくするべきではないか――。こう提案した裁判官の論文が波紋を広げている。

http://www.asahi.com/national/update/0917/OSK201009170090.html

つーんだけど、ぶっちゃけ逸失利益の多寡つーのは給料の多寡なのであって、「非正規労働者」が「正規労働者」に比べて給料が安いのは絶対的な事実。したがって逸失利益が安く算出されることは当然のこと。


今までは派遣社員も景気回復すれば正社員になれて人並みの給料をもらえる可能性もあるから、という理由で若い派遣社員は正社員並みの扱いをされてた。しかし、もう景気回復もないし、雇用形態の身分化・固定化が進んで正社員になれそうもないから、時代に合わせてそれなりの扱いをしましょう、と。


ところがここに、社会的に報われない若者像という赤いニシンが絡んでくると、急にはてな村の猟犬どもがコトの本質を無視してそっちの方に向かって吠え出すわけだ。



極端な話、交通事故でどっかで拾った自転車を全損させた場合、社会的に恵まれていてお金があればベンツに乗ってたはずだからベンツの代金を弁償しろ、と言い出してるも同然で、そんな理屈が通るわけがない。

はてなブックマーク - asahi.com(朝日新聞社):「命の値段」、非正規労働者は低い? 裁判官論文が波紋 - 社会


元の資料がなんだったか忘れてしまったから間違いがありそうな話だけど、洞爺丸台風関連の文献を見ていたときに損害賠償についての記述があった。

どうも逸失利益を算出して損害賠償の金額とするのは洞爺丸事故が最初だったらしい。そしてホフマン方式で逸失利益を算出して提示すると、遺族からは猛反発を食らったそうだ。つまり、人間の価値を機械的に足し算引き算でゼニに換算するのは失礼である、と。


じゃあそれまではどうやって遺族に払うゼニを決めていたかというと、個別交渉でなんとなく決めてたらしい。それこそ「命の値段」として遺族を黙らせるためにドンブリ勘定でゼニを払うのだから、いくらで黙るのかは交渉次第だったとか。

ところが洞爺丸事故では1000人以上もいっぺんに死んで個別交渉なんかはしてられない、だから機械的逸失利益を算出して、そこに一定金額の慰謝料を乗っけて提示した、という経緯のようだ。


ここで肝心なことは、逸失利益から算出された損害賠償は人によって違っても、慰謝料は基本的に同額だったということ。つまり、経済的な存在価値には差があっても、人と人との関わりの中での人としての存在価値は誰でもが平等だ、ということだ。

財産的損失に対する賠償と、精神的損失に対する賠償、ここのところの区別がつかずに吠えてる衆が多いんじゃないだろうか。
今回は財産的損失の問題。


非正規労働者が社会的に不当に弱い立場に追い込まれていることは十分承知しているし、そのことについては救済なり対策なりが必要なことも分かってる。

ただ、それは社会なりなんなりの役割なのであって、交通加害者という個人の弱者に「可能性」という不確実な理由で過剰な負担を押し付けて救済する、というのは筋が通っていない。


そういった理由で逸失利益の算出方法については問題がないと思うんだけど、非正規労働をする理由についてライフスタイルや怠惰を挙げてるのは無神経だと思うけどね。

その無神経の根源は「だって労働白書にそう書いてあるんだもーん。責めるなら俺じゃなくて労働白書を責めて」って逃げ道の確保だろう。

いつでも責任転嫁する先を確保してから行動する、典型的な公務員脳だよ。

日本は三権分立つーけど、公務員脳に侵された裁判官の存在は、残念ながら司法と行政は分立していないってことの証拠だ。