災害ボランティアはどういう事になっているか

俺がボランティアをして来たのは宮城県亘理郡亘理町。仙台から常磐線で南下すること30分ほどの町。


人口は3万人ちょい。内陸部は温暖な土地柄を活かしたいちごを中心にした田園地帯、
海沿いは漁師町で、郷土料理として世間的には鮭いくら丼と言われる「はらこメシ」が知られる。


亘理町のボランティアセンターは内陸側、亘理駅から徒歩20分ほどの亘理警察署の向かいの武道館に設けられていた。
このボランティアセンターというのは社会福祉協議会の下部組織として常設されている。
そもそも社会福祉協議会とはなんぞや、という話になると、要するに半官半民の慈善団体みたいなもので、地域によって介護施設を運営していたり、パチンコの換金業務をやってたり、いろいろだ。
ボランティアセンターは災害時には、被災地以外では送り出し元になり、被災地では受け入れ先になる。



まあ、ボランティアなんてのは基本的には個人の自発的な意思で動くものだから、ぶっちゃけ勝手に乗り込んで行って、勝手に活動すりゃあいいんだわ。屋台を引っ張って行ってラーメンを振舞ったラーメン屋だってそうだし、避難所で万札ばら撒いた衆もそう。
勝手にやって役にたつ自信があればそうすればいい。


ただ、なーんの職能ももたない素人が被災地に行って何が出来る、って、なにも出来ない訳だ。
肉体労働が出来ます、って言っても、そのニーズを探すのも至難だ。そこでボラセンですよ。
ボラセンにニーズが寄せられるので、ボラセンに行って仕事をもらう、一種の派遣労働みたいなもんだ。


で、このボランティアセンターは各自治体単位で設置されていて、横のつながりはほとんどないようだし、それぞれが独自のやり方で運営されている。だから他の場所がどうなってるのか、よくわからない。


俺が行った亘理町のやり方はこう。



朝8時過ぎから登録をする。この登録は新規の人は新規の受付でボランティア保険の有無を聞かれ、名前と住所を書くだけ。2回目以降の人は継続の受付で名前を書くだけ。
あとは8時半ごろから始まるマッチングに参加。これは俺が撮った動画じゃないけど、まんまこれ。

司会の人が
「誰々さん宅で作業があります。昨日リーダーだった誰々さんいませんか?」
リーダーをやる人ってのは、もう何日も参加してる人で、大抵次の日もいて、呼ばれたら出てくる。続いて、昨日もその家に行った人、これは大抵リーダーと一緒にボランティアに来てる人たちだけど、が呼ばれて、それで数がたりなければ
「内容は泥出しと家具の拭き掃除です。3人ぐらいいませんか?」
と声がかかる。あとは挙手制。
3人いませんか?と言われれば、3人で来てるグループが優先される。


「床下の泥出しですので、もぐってかなり汚れると思いますけど、行ってくれる人、いませんか?」
なんて問いかけには我先に手が上がる、そんな雰囲気。
俺もそれなりに汚れていいつもりでいたけど、カッパ、ツナギ、ヘルメット、という、これから青函トンネルでも掘りに行くのか、というような完全装備の、プロのボランティア衆の迫力に圧倒された、、、
けど、そうじゃなきゃ、やってられない内容の場合があるんだよね。この床下の泥出し、帰って来た人たちは泥の海で泳いで来たのかというほど全身泥びたしだったもん。
これは俺が撮った動画じゃないけど、こういう作業、なんだろう。だろう、ってのは俺はやらなかったからで。



ただ、仕事はいろいろあって、床下のハードな泥出しだけじゃなくて、普通に瓦礫を撤去するとか、汚れ仕事以外にも物資の仕訳、下手すりゃ罹災証明書を発行する補助でExcelの入力なんて事務職もある。
で、みんな現場に出たいから、そういった裏方仕事ほど人気がなかったりするんだよね。この辺が一般の求人と違うところで。
結果、物資の仕訳に回った人が「これじゃなんのために来たんだか、分からないよ」とか言ってたり。


俺が好きな映画で「シルミド」という傑作がある。

北朝鮮に潜入するゲリラとして養成された韓国人兵士が、社会情勢の変化のために待機を余儀なくされ、行き場の持って行きようのないやる気が暴発してソウルに攻め入る、という話。



まさにあの状態。